こんにちは、りゅういちです。
今回は楽読クレド第3条「自然と共存し、感性を磨き続けて生きます」について解説していきます。
楽読クレド7カ条
本記事の要旨
- 感性は努力しないと磨けない
- 自然を通して感性を磨く上でのポイント
- 楽読インストラクターや楽読スクールの役割
それでは、さっそく見ていきましょう。
目次
便利さの代償に失いつつあるもの

豊かさと便利さが人を退化させる
あなたは普段どれくらい、自然のことを意識してますか?
住んでいる場所や地域によって変わりますが、便利になった今の時代、自然を感じる時間がなくなっていると思います。
そして、便利になった分、弱っている、退化している部分もあります。
- 車がある分、歩かなくなって運動量が減る
- カーナビのおかげで道を覚えなくてもよくなり、記憶が低下する
- スマホの地図アプリのおかげで知らない人に道を聞くこともなくなった
- セルフレジ、注文ボタンなどのおかげで店員とのコミュニケーションが減った
などなど。
追記:「感情の交流不足」「感情・情緒の劣化」も起きてます
デジタル化・オンライン化が進んで「感情の交流不足」が起きている。人はこれをどこかで発散させるために、1つの手段としてゲームに走る。今、ゲーム業界が熱い原因はそれ。
— KOMI@楽読×多読|世界一遅い速読法指南 (@ryuichi519) January 12, 2022
感情の交流不足のほかに「感情・情緒の劣化」が起きている。風鈴の音を聞いたとき「ノイズにしか聞こえない」という人が増えているのはいい例。
— KOMI@楽読×多読|世界一遅い速読法指南 (@ryuichi519) January 12, 2022
ちなみに、和式トイレが洋式トイレに代わって、しゃがむことがなくなったことが、健康面に影響しているようです。
昔のように和式トイレなら、直腸の位置が肛門に対して直線上になり、脚からの腹圧でお通じがスムーズになる。それだけではなく、しゃがむことで腹圧が高まって、腹から声が出たり、元気になったりします。
でも、今からトイレを和式に全部変えてとか無理ですよね。
楽になった分、努力しないと得られないもの
昔は2時間かけてご飯を炊いたり、2時間かけてお風呂を沸かせたり、1日のほとんどが生活のための時間でした。それが今や、ボタンひとつでできてしまいます。
これを「人間を退化させないため」に昔に戻していくのは難しいでしょう。
つまり「時代が違う」ということです。
昔の人は生活することに苦労をしていました。しかしその代わりに、簡単にできたことがあったと思います。それは
- 「今を感じる」
- 「感性を磨く」
ということです。
日常の掃除、洗濯、料理はある意味「単純作業」ですよね。今も生活瞑想というのがありますが、単純な作業というのは瞑想状態に入りやすいわけです。
つまり、「今の自分を感じる」というのが、あえて時間を取らなくてもできたわけです。
では、今はどうかというと、昔に比べて生活ははるかに楽になりました。その分、暇になってしまった。暇になって何をしてるかというと、四六時中悩んでいるわけです。
未来への不安
過去への後悔
今を生きていないんですね。
つまり、生活が楽になったぶん、豊になったぶん、逆に心の豊かさは努力しないとえられなくなった時代になっているわけです。
だから、昔の人が努力したことがあったように、私たちは「感性を磨く」という努力をしないといけないわけです。
自然は究極の「リターントゥヒューマン」

自分がそうしたいからそうしている
左右均等に枝が生えている木はありません。どれも左右バラバラ、いびつです。しかし、その木を見て美しいと感じませんか。「ちょっと左の枝がこう生えていた方が美しいのにな」と感じる人はいないと思います。
あるいは、鳥が飛ぶとき、鳥は下から見た姿が綺麗にみえるように飛んだりしないですよね。ただ単純に飛びたくて、飛びたいように飛んでいる。でも、その時の姿を見て、私たちは「優雅だ」とか「美しい」とか「可愛い」とか思うわけです。
つまり、人ではありませんが、究極の自分らしさ、”リターントゥヒューマン”をしているわけです。
誰かに見られる、誰かに評価されるということなんて気にせずに、自分がそうしたいからそうしている
それが自然なんです。
動物だったり植物だったり地球だったり、一番自分らしくいるのが自然なんです。
そして、波動の低い人が波動の高い人に影響されるのと同じように、波動の高い自然の中にいると、勝手にそうなってしまうというのが自然の力だと思うのです。
だから、自然と触れることが少ないと感じる人は、自分一人の時間を設けて自然の中に入ってみるなどをして、「今この瞬間を感じる」「感性を磨く」ということがやってみて欲しいと思います。
自然は「感じ取る」しかない
今の時代は情報が多い時代、ネットを開けば情報がたくさんの飛び込んできます。しかし、自然は何も語らないし、何も話さない。ということは感じ取るしかありません。
なぜ自然の中にいると感性が磨かれるかというと、自然はそのままだからです。人間がそれをどう感じ取るか。それは感性の問題です。
自然の中に身を置いて自分の感性を磨き続けることによって、何か深いところの波動が掴めるようになってくるのです。
自然に感謝したり感動できるか?

当たり前のようにあるもの
自然を見て「美しい」と感じるほかに、あなたは感謝できるでしょうか?
自然は当たり前のようにあるので、感謝っていう感覚はあまりないかもしれません。
しかし、
・植物がなかったら?
・水がなかったら?
・空気がなかったら?
・太陽がなかったら?
そう考えると、とてもありがたいですよね。
今、ここに自分がいることに感謝や喜びを感じられないのはもったいないなと、僕は思います。
細かいこと1つひとつに感謝をして、自分でそれを感じて、自分の感性として磨き続けていけるということは、幸せなことではないでしょうか。
そして感性が高まってくると、自然を見て感動し、感謝できるようになってきます。
- この花は誰からに褒めてもらうために咲いたのではないんだな
- 咲くということだけを決めて生まれてきたんだな
そんなふうに感じれらる人の方が、自分のエネルギーは高くなります。
技術は進歩しましたが、自然を見て感謝できたり感動できる感性を取り戻し、地球のことを思って言動できる人たちが増えていけば、技術と進歩とともに地球も必ず良くなっていくはず。
そういう人を増やしていくことが、楽読インストラクターの大事な志事だと思います。
共存してないものはなにもない
クレドに「共存」という言葉が入っていますが、地球というフィールドに住んでいる限り、共存しないものは何もありません。動物も虫も、花でも木々でも、みんな共存しています。
そもそも共存していないものはない。共存しているなねんて当たり前の話です。しかし、それに対して感謝するというもの、人間は忘れやすいのです。だから、わざわざクレドにしてあるのです。
理想は「都会のオアシス」
ありとあらゆるものに感謝できたら、心の豊かさレベルはかなり高くなりますよね。
それが楽読インストラクターの理想像です。
そして、努力して感性を磨いているインストラクターがいるスクールというのは、波動が勝手に上がってしまう。波動が高いスクールにくると、受講生の波動も勝手に上がってしまう。
そうなっている楽読スクールは、「都会のオアシス」と言っていいでしょう。
スクールをそんな場所にするために、楽読インストラクターは自然と共存して感性を磨き続けていく必要があるということを、このクレドを見て思うわけです。
今回は以上です。
おつかれさまでした。
次回はクレド第4条を解説します。
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